
ひとつの物事には、様々な捉え方があります。
幾つもの方向から一つのものを見ることは、人を縛りから解放します。
それと同時に起こるのが「どれを選択すれば良いか」の迷いです。
多くのものを見れば見るほど、選択肢は広がります。
あらゆる面で「自分は自由だ」と知ることへ繋がります。
しかし、自由である事を苦痛に感じる場合もあります。
これは、上記の”どれを選択すれば良いかの迷い”と同じで、人生に終わりが近いと感じる年齢であるほど、焦りと相まって迷いの森へと入ってしまいます。
これには理由があって、まずは「自己不信」、そして「責任感の欠如」、「解放されることへの執着」などが挙げられます。
「自己不信」「責任感の欠如」は、自分が決定することに自信がないため「周りの意見に頼って生きる方が楽だ」という意識に繋がります。自分が仮に何かを決定して、後で後悔する様な結果になれば「完全に自分自身の責任」となるため、人のせいに出来る状況にしておいた方が楽なのです。
「解放されることへの執着」は、苦しみから抜け出したいとか、自分は周りと違うと思いたい欲求などから生まれます。今を全否定している状態でもあります。
少し厳しい書き方をしましたが、これは私自身に有ったことです。
自分に対して常に嘘をついている「自己欺瞞」はずっと私の人生と共にありました。
辛い思いをした幼少時代に焦点を当て続け、「かわいそうな私」というレッテルを自分に貼り付けてそこを安住の地としていました。なぜなら、そこは限りなく「安全」だからです。
生物が安全を求めるのは、生命維持の機能であるため、非常に重要なものです。
しかし、過去の思い出や、今世で起きた以外の出来事、もしくは遺伝的な情報により「過剰防衛」になったりもします。
そこから抜け出さない道もあります。そして、抜け出す道もあります。
抜け出す道を選ぶことは、それまでの全てを覆すことになるかもしれないため、未知の恐怖や不安にさいなまれるかもしれませんが、本気で変わりたいなら「決断し、行動する」ことからは逃げられません。
本気の決断と行動を伴わせることにより、人生は変わります。
本気の決断には、脳がピントを合わせ、様々な情報の中から「キャッチするものを選択」します。
本気の行動には、「強さ」という贈り物があります。弱かった自分が嘘の様に影を潜めます。
それを続け、自分の決断に対し誠実に向き合っていく中で、初めにあった「自己不信」「責任感の欠如」「解放されることへの執着」などにどんな素晴らしい側面があったかを知る事ができると思います。
今日のひとこと
『 自分を見つめる事は、人生を変える第一歩 』
今日も素晴らしい日をありがとうございます。
光田恵美
ラトレアオーガニクス
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